ASDとADHDは私の全てじゃないけれど

成人になってからASDとADHDの診断を受けた人のブログです。ストラテラを服用しつつぼちぼちやっています。

ストラテラによる変化を考える

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前回ストラテラ始めましたにて挙げていった「夫から見た私の変化」と、それに対する私の感想を書いていきたいと思います。

  

明かりを付けても眩しがらない。いつもなら目を細めたり顔をしかめたりしている。

 これは、言われるまで気付きませんでした。眩しいのが私にとっての普通なので、眩しくて目を細めたり目が開けられなかったりすることがあるのは自覚していても、一々「眩しくて嫌だな」とは思っていなかったのです。

 

けれど、夫に言われてみて「確かに!」と納得しました。視界に入る明かりをパっと点けられても眩しくないどころか、シーリングライトや裸電球を直接見ても、別段目を開けられないほど眩しかったり痛かったりしないのです。これは凄く不思議に感じました。生まれて初めての体験です。

  

食器を洗いながら会話ができる。いつもは全然聞き取れていないので会話にならない。

 これは、健常の人のレベルで聞き分けられている訳ではないのですが、明らかに音を追いかけやすくなっているようです。ちょっと聞こえ辛いなと思っても、一回水を止めて夫の声を捉えてから、再度洗い物を始めることである程度聞き取ることができていました。

 

何気なく聞いて聞き分けられるわけではないのですが、「聞こうとしたら聞こえる」という感じで、これまた初めての体験でした。今まで、「ちゃんと聞いてる?」とか「注意して聞いてた?」と頻繁に言われていたのは、『これ』をしろという事だったのか!!と納得しました。同時に、今までも私はちゃんと『意識して聞こう・注意して聞こう』としていたことも分かりました。しようとしても、ない機能は使えない・・・・という感じだったように思います。

 

夫は、今までは私が洗い物を終えるのを待ってから話しかけていたそうです。他にも、雑多な音がする環境など、私が聞き取りにくいだろうという場では声をかけるタイミングや声のかけ方を工夫してくれていたそうです。

  

ミスをしても苛立ったり落ち込んだりしないで淡々と処理している。

 これは自分でも感じました。ミスをしてもパニックにならないという感じです。「えっ何?えっ?わ、どうしよどうしよ、わわわ・・・・」という精神の動揺や頭の混乱がない感じです。「あ、やっちゃった。」と思うだけです。

 

面白いのが、薬を服用してからの方が、やることが何となく雑になって「雑に動いたので起きるミス」が増えたことです。でも、ミスが増えた!というよりは、『定型の人がやりそうなミス』が増えたなという印象です。一方、従来の『気を付けていたのに何故か起きてしまうミス』はグッと減りました。これまた、「今まで『もっと注意して』とか『何で気を付けなかったの?』と言われていたことは、こういうことだったのか・・・!」という感じです。

 

そして、やはりこれについても「今までも注意しようとしてはいたし、慎重にやるようにかなり頑張っていたんだなぁ。」と気付いて不思議な気持ちになりました。それが分かっただけでも、自己肯定感の向上に繋がるのではないかと思いました。『できていない』という事実は覆せない現実だったとしても、せめて『気持ちや姿勢の問題なのだ』という指摘においては、多分そうではないんだろうなということが分かるのは良いことなのではないかな、と思います。

 

夫が言うには、私が開けておいて良い鍵を閉めてしまった時など「そうじゃないよ」「こうする時だよ」と伝えたい時には、『妖精がささやくような感じで教えると良い』そうです。そうすると、「えっ?何?」となり難く、すんなり「あ、そうだった。」と修正できるのだそうです。(コウにも同様の傾向があるそうです。)

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発言が要領を得たものになっている。話が分かりやすい。

 これは、言われてみればそんな気もしなくはない・・・程度の感覚です。私の話が変わった!という感じはよく分からず「何となくそんな気もするかな?」くらいなのですが、夫の反応が違うので、「あぁ、話がいつもより分かりやすいんだろうな。スムーズに伝わってるな。」ということが分かるという感じです。寧ろ自分としては、音の聞こえ方が変わったことで自分の話をうるさく感じるようになったので、「え?本当に?私の話うるさくない?」と聞いたりしました。

 

一回の発言が凄く短くなったという感じはありません。ただ、何かを伝えるにあたっての会話の往復が短くなったり、一回一回の発言が伝わるので、

 

私が話す → 相手が「?」となる → 「あれ?伝わらない?」と思った私が更に付け足す → 相手が「?」となる・・・・・

 

というループがなくなりました。結果として、私が一方的に話す会話の展開ではなくなるようです。長く話す必要が無ければ長く話さなくて済むだけの話なのかもしれません。

 

(しかし、必要があると思えば長く話してしまうところが、私の駄目なところです。これについては今後改めて考えていきたいところです。これに関しては、今度ちょっと別個にまとめて書いてみたいと思います。色々と、「こういう仕組みなのでは?それでこういうことが起きているのでは?」という考察がいくつかあるのです。)

  

突然話しかけても驚かない。

 これも、言われてみれば本当にその通りです。今まで、相手の存在を認識できていない時に声をかけられると飛び上がるくらいドキンとしていたのですが(頭では分かっていても、時に恐怖を感じるくらいだったのですが、)それがアッサリ無くなりました。ただそれだけのことなのですが、これに関してかなり夫は気を使ってくれていたので、嬉しい変化の1つという感じですね。勿論、私自身も驚かない方が嬉しいです。

  

動きがテキパキしている。

 これは、2日目にして「確かにそんな感じしなくもないな。」と感じたところです。夫が言うには、1日目から既に現れていたそうですが、私が2日目に最初に気づいたのは、テキパキというより「テキパキ行動するが故の雑さ」でした。逆に言えば、要領の悪さと相まって余計に鈍くさく見えるような『作業の過剰な丁寧さ』が無くなったということかなと思います。

  

指示語が伝わりやすい。状況や文脈から話を拾えている。

 これも、1日目に夫に言われた時は「そーかなー?」という感じでしたが、2日目の夜に夫から具体例を指摘されて自覚しました。今日は「本、あそこに置きっぱなしでいいの?」だけで伝わったが、いつもなら「図書館で借りてきた本、マッサージクッションの上に置きっぱなしでいいの?」と言わなければ多分通じない筈だと夫が言うのです。

 

分かります。多分その通りです。調子が良い時であれば「借りてきた本、あそこに置きっぱなしでいいの?」と言われれば何とか目線と状況とを紐付けて考えられますが、実際に上記の会話が行われたのは夜寝る直前のことだったので、平素であれば頭も大分回らない状況のはずです。「借り手てきた本?え?(コウが学校で借りてきた本かな・・・・?)」とか、「あそこ?棚の上の本のこと?あれは後で2階に持っていく本だよ。」などと頓珍漢な答えを繰り出していたことでしょう。

  

指さしや目線が、いつもより正確に伝わっている。

 これは、上記の「指示語が伝わりやすい。状況や文脈から話を拾えている。」に関係することですね。指さしや目線が、完ぺきではなくともある程度正確に伝わることで、「あれ」や「それ」が何を指しているのか、突然始まった今の会話は『夫が何を見たことで始まった会話なのか』を追うことができるのだろうと思います。指さしに関しては、何故か読み取る方だけではなく自分自身が指さすことも上手くなりました。

 

夫は、今まで「見れば分かるでしょ?」「聞いてたなら分かるでしょ?」ということを、必要に応じて言葉で伝えるようにしてくれていたそうです。

 

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こうして並べてみると、1つ1つの変化が小さいながらも頻繁にあることであるため日常に大きな影響を与えていることが分かります。今後服用を続ける中で、現在ある副作用や頭痛などのまだ出ていない副作用が大きく現れなければ、ストラテラは私にとってQOLを上げる良い薬ということになりそうです。

 

そんな良いことづくめのストラテラという感じですが、次回は、ストレートな副作用とはちょっと違った「ストラテラによる良い効果が及ぼす思いがけない副作用(?)」について話してみたいと思います。