ASDとADHDは私の全てじゃないけれど

成人になってからASDとADHDの診断を受けた人のブログです。ストラテラを服用しつつぼちぼちやっています。

人の気持ち

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泣いているコウを何人かの子が「コウは悪くないよ」と慰めてくれたそうで、本人としては軽く「大変だったなー」という感じのできごとだったようです。

 

私の解釈も合っているのか自信はありませんが、多分B君は最初からコウに「うるさい、あっち行ってろ。(邪魔だ、首を突っ込むな。)」と言っているのですよね。でも、コウは「関係ない」は事実ではないと思ってキッパリと反論したようです。

 

『言い合っている内に強く言われて泣いちゃったんだな』という形で聞くこともできなくはないのですが、どうも細かく聞いていくと、相手の意図はあまりよく分かっていないのではないかな?という感じがあります。

 

夫と話しているのを聞いていても、「あれ?」っと思ったところを後で本人に聞いてみると、『どうしてその発想に行きついたの?!』という解釈をしていることは多いです。(それを横で聞いている夫は「さっきの会話は何だったんだ・・・・」とうなだれることもあります。)

 

本の感想を聞いたり、文中の状況や心情について確認したりしてみると、割合分かりやすく書かれた内容であっても読み取れていないことがあります。照れたり、ごまかしたり、思いやりから嘘をついたり、説得の為に大げさに言ったり、ハッタリだったり・・・『相手からの印象を操作しようとするコミュニケーション』は、特に不得意なようです。

 

心情の描写よりも物質に対する描写に意識を取られる傾向もありますが、これは以前よりヒントを与えていくと答えにたどり着きやすくなってきています。

 

 

最近、自分の読書にはそのような見落としが多いことに気付き始めたコウは「僕って、本を読んでも楽しいばかりで、全然内容分かってなかったの?!ってビックリするよ・・・!」と笑っていました。私としては、小学生の内にそれに気付いた彼は凄いと思います。私は、結構長じるまでそれを理解してはいなかったように思うからです。

 

本を読む楽しさを通して、人の気持ちの型を少しずつ理解していけたらいいなと思っています。