空っぽの話
昨年あたりから、ぽつりぽつりと漫画を描いている。きっかけは、子供に「僕が出てくるマンガを描いて」と言われたからで、口で言えばさらりと右から左へ流れていく話もマンガだと笑って読んでもらえるので、時間のある時に描くようになっていった。
それが一定数溜まったので友人にどこかに投稿することを勧められたのだが、いざ投稿を考えると、自分の漫画めっちゃつまらん!ということに気付いて慄いた。それでも投稿したが余裕で落ちた。納得である。
上手い下手以前につまらない。面白くない。私はプロでもアマでも人の描いた漫画を見るのが好きなのだけど、大抵の漫画は割と楽しく興味深く読める。だけど自分の漫画ちょーつまらない。どういうことだ。
子供の為に描いていたので自己紹介マンガもなく、改めて描いてみると「自己紹介だな。説明だな。」という感じ。説明でしかない上に分かりにくく、しかも面白くない。どういうことだこれは。
作者にここまで言われる私のマンガも気の毒だと思う。趣味で描いているので金を生むわけでもないのは良いとして、自己満足したい。「自分のマンガ、後で読み返すとちょっと面白い。」くらい思いたい。
けど、そう思って一晩経って、不思議な気持ちが湧いてきた。
「面白くないマンガを描くの、なんか無益で自己満足で、自分の為って感じがしていいかも・・・・。」
どういう訳か、「この行為、アリじゃない?」という気持ちが心に満ち満ちてきたのだ。自分のマンガが面白くないあまりストレスで浮かんだ考えなのかもしれないけれど、不思議に楽しい気分になったことで、「よしこれからもつまらないマンガを描こう」という気持ちになった。
とりあえず描きかけのコウ漫画を描いて、また夫マンガも描いてみたい。できることなら、夫と離婚の危機に至るまでとそこから関係を作っていったことについて描きたいのだけれど、まずまとまりなくも文章で書いてみないと出てこないかもしれない。断片的な記憶がガッサガッサと箱に放り込まれている感じで、時系列に因果関係をつけて記憶を並べてみないと、話の体裁にならなさそうなのだ。
私はASDだし両親は共働きで、夫は亭主関白なj家長制度の強い家に育っていて、なんだか色々なことが絡み合ってモメていたから、記憶の引っ張り出しやすいところから少しずつ取り出していくのもいいかと思う。そんなこの頃です。