ASDとADHDは私の全てじゃないけれど

成人になってからASDとADHDの診断を受けた人のブログです。ストラテラを服用しつつぼちぼちやっています。

うんざりされ続ける人の話

 

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私はかなり周囲の人を怒らせイラつかせ、うんざりさせる人だと思います。

 

話が通じない、空気が読めない、意図が伝わらない、人の顔が見分けにくい、音が多いと聞き分けられない、整理できない話、理屈臭い、困ると固まる、感覚過敏でキャパオーバーする、「普通そうでしょ」や「見ればわかるだろ」が分からない・・・

 

こうやって一部を書き出してみても人をうんざりさせるのに十分な要素を持っていることが自覚できます。

 

そんな私の子供は、私から見れば私よりよほどできている子なのですが、やはりミスが多く話の筋が見えず意図が読めない子供です。

 

今のところは気持ちの明るさと図鑑知識と折り紙力を駆使して小学校生活を切り抜けているようですが、学年が進むごとに、そして社会に出る程に、「いい加減にしろ」「どうしてできないんですか」の嵐に合うだろうなぁという確率が、残念ながら今のところは高そうだなぁという感じです。

 

できればそうならないようにと思って育てている訳ですが、そういう発達障害的なアレで典型的な苦労をする可能性はありますし、そうでなくても人生、合わない職場に入ってしまうとか、合わない人と暮らしてしまうとか、色々なことは起こりうると思います。

 

連絡帳は真っ白、筆箱は空っぽ、クシャクシャのプリント(提出期限切れ)、100点のテスト3枚と0点のテスト2枚(名前未記入)を持ち帰る子供です。泣いているクラスメイトを慰める優しい行動の一方で「なんで泣いてたのかって?そんなの、僕はAちゃんじゃないし分からないよ。」と言ってしまう彼を、私はどう育てたらいいのかな?と思います。

 

どうすれば彼の行動が是正されるかということではなく、どうしたら彼は一生をそれなりに楽しく幸福に送ることができるのだろうかということです。

 

順当に行くと、私のようになるかもしれない訳です。人に、「お前のせいで迷惑だ。うんざりだ。どうしてお前はそんなに駄目なんだ。」と言われ続ける人生です。

 

私は今より若い頃、自分のあまりの仕事のできなさに「私でも続けられる仕事は何だろう」と考えバイトを渡り歩いていました。その中で比較的続けられそうだと感じた仕事の資格を取得し、現在その資格で細々と働いています。一生続けられるかは分かりません。細々であれば続けられるかもしれませんが、それでは糊口を凌げません。フルで働けばミスは増え、仕事を続けられなくなるでしょう。

 

今は割合穏やかに過ごしている私ですが、それは環境をそのように作ったからです。運が良かったのです。もし夫が働けなくなれば、それだけで我が家の家計は破綻します。もし夫との話し合いが上手くいかなければ、私と夫は今頃離婚していたでしょう。(過去、夫に離婚したいと言われて離婚用紙を取りに行っています。)

 

私が今の環境で過ごせるようになったことに運要素以外のものがあるとするならば、「自分ができること、できないことは何だろう」と黙々と考え、探し、「努力が足りないからだ」という言葉に従うことを一部止めたからかもしれません。

 

それは効率良く導き出された結論ではなく、「死ぬか蒸発か、もうどちらかしかない。」と思い詰めた末のことです。鬱々と過ごした30年間があってのことです。「どうして私は私をやめられないんだろう。私があるから苦しいんだ。私を消せたらいいのに、どうして私は心を無くせないんだろう。」と思う日々を過ごしたからです。

 

「死ぬくらいなら死ぬ気で頑張れ」の理論で切り抜けた訳ではないです。私が死ぬことで兄弟に迷惑をかけては気の毒だと思って「死なない為にどうしたらいいんだろう」をずっと試行し続けてきたら今になったのです。死なないためには、お金を稼ぐことと同時に「死にたい自分と毎日戦う暮らし」にならなくて済む為の精神の安定が必要でした。食べるに困らなくても、精神が磨り減ったら死にます。私は橋の上でそのことに気がつきました。ギリギリ死ななくて良かったです。その時に私を羽交い締めにしたのが今の夫です。

 

 

 

うんざりされない自分になることは多分大事なのだと思うのですが、そうなれないのであれば、自分の周りを「うんざりしつつも許してくれる人達・愛してくれる人達」で整えつつ、「うんざりされながら病まず恨まず生きていける精神」が必要なのかもしれません。

 

真面目さや繊細さ、協調したいという心は良いものですが、時に自分を殺しに来ます。私にとってはそうでした。恨む代わりに病みました。社会を殺しに行く人と根底は同じなんだろうなぁと思ったりします。それが自分に向かいやすい性格というだけです。他人に死ねと言えない代わりに、自分に対してなら死ねと言える人間というだけです。その上で、経験によって「自分にだって死ねっていっちゃいけないね」と知っているだけです。

 

図太く、優しく、できるだけ自他を尊重して生きていきたいと思っております。

 

内容と全然関係ない上の写真達は、子供がブロックで作ったお寿司キットです。えび可愛いです。軍艦と握りのシャリの上に具とわさびを乗せられるシステムです。お寿司屋さんごっこができる他、「回転寿司のレーンの上でこけちゃった悲しいお寿司」などのしょうもない遊びが楽しめます。

 

しょうもないことをして、心を潤して何とか生きてます。そんな感じです。