ASDとADHDは私の全てじゃないけれど

成人になってからASDとADHDの診断を受けた人のブログです。ストラテラを服用しつつぼちぼちやっています。

「が」と「に」の話

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ASDの子供あるあるのようですが、コウは視点にまつわる助詞を間違えやすいです。

 

・お母さん「が」くれた

・お母さん「に」もらった

 

というシンプルな間違いは今でも多いです。基本的に視点について自分や他人(相手や第三者)のそれぞれの立ち位置を上手く使い分けられないようで、幼い頃はもっとややこしい話し方をしていました。

 

「お母さん見えて(見て)」「お母さん聞こえて(聞いて)」は序の口で、「あげる」「くれる」「もらう」がごちゃごちゃな為に「お父さんが僕にあげてくれたの」などの不思議な文章が生まれた時期もあり、その頃の私と夫は『何となく意味は分かったけど、今何か変なこと言ったよね?!』という混乱を頻繁に受けていました。

 

私と夫も、コウが何を言いたいかを脳が自動変換して理解するような感じになっていたと思います。『何か変なこと言ったよね?』ということは分かっても、意味だけが頭に残って、彼の発した言葉そのものが認識に残らないのです。不思議です。

 

「僕に預かってもいいよ(僕が預かってもいいよ・僕に預けてもいいよ)」などの間違いは、今は大分減ってきました。その途中過程では『何となく間違えていることは分かるけれど正しい用い方は分からない』という混乱で言葉が出なくなってしまう時期もあったのですが、今では「段々覚えていけばいいよね」と気楽に捉えているようです。

 

なので、以前は『言い間違いとしての意識が強くなると話せなくなるタイプだろうなぁ』と予想して、あえて間違いとしては訂正せずに「そうだね、○○だね。」などと同調する形で正しい文章の組み立てを教えていたのですが、今では上のマンガのように、割合率直に指摘することも多くなりました。

 

そんな中で耳にした、コウの「さっきの、『お母さんにもらった鉛筆で塗ったよ。』でもいいね。」発言には彼の成長を感じて驚くと同時に、私と夫も文の組立がゲシュタルト崩壊を起こしてきているなと思いしみじみしました。脳が、対コウモードに適応進化を遂げているような気がします。

 

コウは現在でも時々「行く・来る」「あげる・もらう」がこんがらがった話し方をする上に、「ただいまー」と言って帰ってきた夫に「ただいまー」と返すこともあるのですが、それでも夫に「ん?」と言われれば「あれ?」と考えて「おかえりー」が出てくるようになった彼は少しずつ進歩していっているのだなぁと思います。