ASDとADHDは私の全てじゃないけれど

成人になってからASDとADHDの診断を受けた人のブログです。ストラテラを服用しつつぼちぼちやっています。

30代で発達障害と診断を受けました。

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受診のきっかけや、そこに至るまでの大まかな流れを書きたいと思います。

 

子供の頃より「何かおかしい」「教師生活でこのような子を見たことがない」と言われ、20代の頃より「アスペルガーなのではないか」と言われ、『絶対何かあるでしょ』と言われ続けてきたのですが、いよいよ30代にして発達障害と診断を受けました。

 

 

20代の頃に1度、何か有用な情報を手にできればと思い診察を受けたことがあります。当時はまだ成人のADHDに対する薬の処方はありませんでしたが、知能検査を受けることで得意不得意や努力の方向性や程度や限度が見えればいいなと思って受診することにしました。

 

お医者さんは、母から聞き取った成育歴をまとめた紙と通知表に目を通した後、「何らかの発達障害ではあるだろうと思いますが、結婚も仕事もしているのだから、診断はしなくていいでしょう。」とおっしゃり、診察は終わりました。「お医者さんが診断は不要と言っているのだから、しょうがないのか・・・。」と諦め、途方に暮れた気持ちで帰路につきました。

 

その時、涙が出る程に混乱したのを覚えています。私は、結婚も仕事もしていましたが、結婚も仕事も破綻しかけていました。破綻したまま無理やり継続していると言った方が良い状態だったかもしれません。でも、それを何と言ってお医者さんに伝えればよいのか分かりません。確実に困ったことは起きているのに、何が起きているのか説明できないのです。

 

そして、それを知るために行った病院では、何が起きて困っているかを説明しなくてはいけないのです。発達障害はあるけれど問題ないというのであれば、私は今一体何に躓き行き詰っているのでしょうか?

 

 

手詰まりを感じた私は、何とか自力でこの状況を脱しなくては・・・・と思い、仕事は、人手の足りていないお店で働くことで繋ぎました。店員として私は不十分ですが、人員不足なのでクビにはなりません。休みを取り辛いことは大変でしたが、仕事がないよりはマシです。いつも、「今日は無事に仕事を終えることができますように・・・」と祈るような気持ちで出勤していました。今思うと中々病んでいます。ここまで持ちこたえることができて良かったです。

 

結婚生活は、コミュニケーションの塊です。夫とフローチャートを作りながらコミュニケーションそのものについて話し合い、お互いボロボロになりながら相互理解を深めていきました。なぜ私達の会話はどんどん嚙み合わなくなっていくのか、話し合わないことには生活がままならなかったのです。

 

 

そうして月日は流れ、

 

・仕事→妊娠出産で辞めて専業主婦へ。

・ご近所付き合い→合コンさしすせそ的に肯定的な相槌で会話。自分の話はしない。

・夫との関係→色々悟った夫の努力と歩み寄りもあり何とか会話が成立するように。

 

ということで何となく、子供の小学校入学までは概ね平穏無事に過ごしていたのですが、入学後「あ、これ結構駄目かも。今までのやり方じゃカバーしきれないかも。」ということに、じわじわと気付いていきました。そんな中、子供の発達障害について療育など関わっていくことにより今は成人のADHDにも薬を処方されることを知り、子供会やPTAのイベントをミスなくこなすことに不安を覚えた私は、ようやく発達障害について受診することに決めました。

 

 

結果、ASD(の中で言えばアスペルガー)と診断が下りました。

そして、当初の目的だったADHDの診断と薬の処方はもらえませんでした。あれ?

 

ワーキングメモリーが100以上あったからなのかもしれません。

言語高めで知覚推理は思いっきり高く、処理速度は低いという結果に「予想通りというと何ですが、まぁ予想通りの結果が出ました。」とおっしゃっていた先生は、最初の面談ではADHDとASDを疑いつつ、面談を重ねるごとに「ASDじゃね?ミスが多いのはASDによってキャパオーバーしてるからじゃね?処理速度も低くない?」という感じを出してきていたので、知能検査の結果だけではなく問診込みで判断なさったのかな?という感じはします。

 

そんなこんなで、30代にしてついに「発達障害(疑い)」から「発達障害(確定)」にクラスチェンジすることとなりました。せっかくなので、精神障害者手帳も取得してみようかと思うこの頃です。