ASDとADHDは私の全てじゃないけれど

成人になってからASDとADHDの診断を受けた人のブログです。ストラテラを服用しつつぼちぼちやっています。

私と発達障害の関係

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私は、自分自身の発達障害の特性により困ったことになることが多いです。困っているという表現は私からするとソフトな印象なので、それよりもう少し高い壁を感じている状態かな、と思います。

 

冗談が分からなかったりするし、空気も読めないし、相手の言うことの「何を言っているか」は分かっても「何を言いたいか」が分からなかったりします。

 

コミュニケーションは、頻繁に訳の分からない状態になります。相手が何を言っているのか分かりません。それを相手に伝えても、「私の分からないところ(言外にあるもの)」を説明されることはなく、「既に今の話で分かっていること(言葉で伝えられたもの)」をかみ砕いて説明されます。相手もどんどんイライラしてきます。自分が何か間違っているのだろうということは分かるものの、何が間違っていてどうすれば良いのかが分かりません。

 

「普通そうでしょ」

「見ればわかるでしょ」

「何で他人事なんですか?」

「ふざけてるの?」

「ハァ・・・もういいです」

「ちゃんと聞いてた?」

 

そんな言葉の繰り返しに、何をどう頑張ればいいのか分からず頑張っているつもりでも空回りし、試行錯誤しても答えは出ませんでした。

 

 

妊娠出産を機に仕事を辞めたまま、今は自分のペースで主婦をしています。小学生の子供がいます。主婦業は、全体を自分が把握しやすくマクロを組みやすいので、今のところ私に合っているようです。(今後子供会やPTAの活動で役員をする際には、苦労する可能性はありますが。)

 

夫とは、話し合いを重ね、自分について考えることで、随分落ち着いた関係になりました。夫は、外せない「普通」を外さなければならない私とのコミュニケーションをしてくれる凄い人だと思います。

 

今のところ、私の暮らしは大分平穏なものです。これで、後は驚異的な運で宝くじを当てて、役員から逃げ切ることができれば、まぁまぁ安泰な人生を送れる可能性はありそうです。

 

ですが、今のところ宝くじは当たる気配はないですし、子供も発達障害の可能性有りなので先生やスクールカウンセラーさんと会話をしなくてはならないし、役員も中学まで回ってこないということもないでしょうから、やはり今後の人生、「店員さんと家族以外の会話はシャットアウト」「用事は夫に丸投げ」とはいかなさそうです。

 

 

私は、20代の頃の「なんかしら発達障害なんだろうけど結婚して仕事もしてるしいいじゃん検査もしなくていいじゃん」という診察の結果以来、発達障害について知ることを避けてきました。何とはなしに、障害に逃げるな、それは甘えだと言われるような気がして怖かったのもあります。

 

その後、そんな発達障害というジャンルに発達障害の可能性有りの子供を通じて親として関わっていくことになると、少しだけ、一歩引いた目線で情報を受け止められるようになりました。私が悩んでいた当時と違って今は多くの情報がありました。驚きです。

 

おそらく私は今で言うところの当事者研究を行ってきた人なのだと思うのですが、情報の断絶具合が凄かったので、何というか浦島太郎というかガラパゴスというか・・・・な気持ちでいます。それなりに状況が安定している今は20代の頃と違って全力で悩んでいることはないので、只々「こんなに色々な方法や考えがあるのね・・・」と驚くばかりです。

 

 

困ってはいるけれど、悩んではいない。できることとできないことの線引きが昔よりは見えているので、倒れるような努力はしていません。一方、苦しくはないけれど躓くことは多いし、一部の近しい人以外の人達とコミュニケーションが取れないことによる「気にしなければ良いでは済まされない事態」も、いよいよ無視できない感じになってきています。

 

ASDが私の全てではないけれど、ASDが私の社会生活について回ることは間違いありません。

 

今まで散々逃げ回り、見ないふりをし、子供を通じて関わるようになった発達障害というものに、もうちょっと直接触れてみてもいいのかもしれない。

 

そんな風に思うようになった、私と発達障害の、最近の関係です。