ASDとADHDは私の全てじゃないけれど

成人になってからASDとADHDの診断を受けた人のブログです。ストラテラを服用しつつぼちぼちやっています。

水面に物を落とすこと

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「へー、そうなんだ。」 の続きです。「こういうことがあったよ・こうなんだよ」と言いたいだけの話に対して、「へー、そうなんだ。」と言って欲しいだけ。という会話パターンについて考えてみたいと思います。

 

そもそもこの話のパターンは何なの?何を求めてるの?ということがまず焦点になってくるのではないかと思いますが、私はこれについて、ASDのコミュニケーションがある意味乳幼児的であるからではないのかと考えています。乳幼児のコミュニケーションスタイルのまま、定型発達(or非ASD)の人とは違うルールやポイントを持ったコミュニケーション方法として育っていったものがこの妙な会話の形になっているという部分があるのではないかと考えています。

 

乳児に近い幼児は、生まれてから発達していくにつれて『やってみたらどうなるかを試す』という行動を取るようになりますが、大雑把に言うとその赤ちゃん的な『やってみたらどうなるかを試したい』という欲求が、このASD的会話パターンのベースにあるのではないかと思うのです。(それがすべてではないと思うので、『部分』という表現にしました。)

 

水面に物を落とすと、波紋ができたり水が跳ねたり、浮かんだり沈んだりと様々な反応が起きます。それを遊びとして幼児はよく楽しんでいますが、『こういうことがあったよ・こうなんだってと言いたいだけの話』にもこれと同じ側面がありそうな気がします。

 

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こう書いていくと、「色々な反応を示すのが面白いというのなら、『へーそうなんだと言って欲しいだけ』というのはおかしいのではないか?」という疑問が出てくるかと思うのですが、私はここで定型発達(or非ASD)の人とASDの人との間にズレが出てくるのではないかと思います。

 

「へー、そうなんだ。」そのものだけではなく、そこにオマケが付いていることを良しとしているASDの人は私が見る限り多いようです。「へー、そうなんだ。凄かったね。」とか、「へー、そうなんだ。良かったね。」「へー、そうなんだ。大変だったね。」といった類のものですね。そこがASDの求める『色々な反応』に値するのではないかと考えてみると、ASDの求める反応とは、言わば『感想』であるという側面が強いのではないかと思います。

 

このASDが求める反応とは感想であるという仮説は、そこそこ合っているのではないかな・・・と私は思うのですが、この『感想』というものをどう捉えどう表現するのかというところで、再び定型発達(or非ASD)の人との間に大きなズレができてくるのではないかと考えられます。

 

感想は、言うなれば『水面に何かが起きること』に相当するのだろうと思います。

そうした時、ASDの人が嫌う反応の型も何となく見えてくる気がします。「自分を変えようと関与された」と感じるような反応です。

 

ASDの人が嫌う反応として、時に揉める原因にすらなり得るものの1つに『アドバイス』があるようですが、これも、「相手(ASDの人)を変えようとして出された言葉」である時、特に諍いを生むことになりがちなのではないかと思います。

 

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石を落とされ水が跳ねることやその水しぶきの大きさには、水の意思の関与はありません。石の大きさや入水のスピードや角度などといった物理的な要素によって、水がどう反応するかは決まってくるでしょう。

 

けれど、もし水面がただ反応をするものではなく『こちらに意図を持って働きかけてくるもの』であったとすれば、水が跳ねてそれに濡れることも意味が変わってきます。「楽しい気持ちになったので笑い声の代わりに水音を立てた。」とか、「痛かったので大きく水をはねた。」などの反応を読み取るような関係が、水と物を投げた人との間に生まれてきます。

 

この、意図があるかないかということが大きいのではないかと考えます。ASDの人は、時として意図を不要な要素として捉えたり、そのまま率直に伝えられることのない意図を嫌ったり不快に思ったりする傾向があるような気がするのですが、『ただ反応が欲しいだけ』であって『反応は欲しいけれど意図の働きかけは嫌だ』ということは、矛盾なく存在しうる指向ではないのかと考えています。

 

凄く微妙なところなのですが、「お腹が空いた」と言ったことに対して、「お腹が空いたなら食べればいいと思った。」と言われるのはOKであったとしても、「お腹が空いたなら食べればいいと思った。だから食べなよ。」と言われると嫌な気持ちになる可能性があるのではないか?ということです。

 

長くなってきたのでここで一度切って、次に『感想を伝えること』と、『感想を伝えることで意図を伝えること』の違いについて書いていこうと思います。