ASDとADHDは私の全てじゃないけれど

成人になってからASDとADHDの診断を受けた人のブログです。ストラテラを服用しつつぼちぼちやっています。

カサンドラ症候群について考えてみました。

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アスペルガーの伴侶を持つ人は、特有の精神状態になったり苦痛を感じたりするようです。それには名前もしっかりついていて、『カサンドラ症候群』というものなのだそうです。

カサンドラ症候群とは、アスペルガー症候群がある人とのコミュニケーションがうまくいかないことによって、家族や友人など、アスペルガー症候群の人の身近にいる人に心身の不調が生じる二次障害のことです。特に妻や夫といったパートナーに起こる場合が多いと言われています。対人での関係性による障害であることから、状態として捉えられることもあります。

カサンドラ症候群とは? https://h-navi.jp/column/article/35025579

 

最初は、アスペルガーは男性の比率が高いとされていたことからも『女性に多い疾患である』とされていたようなのですが、現在では妻がアスペルガーで夫がカサンドラというパターンも多く見受けられるようになってきたようです。

 

私はASであり、いわば夫をカサンドラ症候群に追い込む方の立場ということになります。なので、今一寄り添った言葉というものはひねりだせないような気がするのですが、一応歩み寄りたい気持ちのある者として私なりにカサンドラについて少し考えてみたいと思います。

 

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 まず、カサンドラについて今更ながら調べてみたのですが、カサンドラ症候群としての苦しみには、いくつかの要素が関係し合いながら存在しているように見えました。どれも切り離せない要素であり分けきれるものではないと思いますが、どの要素が強く出ているかによってアプローチの仕方も苦しみのポイントも変わる所があるように思うので、5つの項目に分けて書いてみます。

 

 

1.定型的な心のやり取りや調整ができない

 

ASではない方が行う心のやり取りや調整というものは、ASには効かない~効きにくいということが多いです。これは、どんな性格のどんなASであったとしても、多かれ少なかれあるようです。

 

ASと継続的にコミュニケーションを取る方は、ASに対して心が通い合う感じを得られなかったり、心を使った取引が成立しなかったり、気持ちの訴えが通じないと感じたり、必要とされていないと感じたりするようです。信頼感を積み上げる感覚を得られないこともあり、自信を失ったり心を搾取されているような気持ちになったりするようです。

 

これは、比較的温和で思いやりのあるASの人と歩み寄りながらそれなりに上手く付き合っている人であったとしても、たまに訪れる痛みになるようです。パートナーであるなど親しく深い間柄である程に、寂しさや孤独感、違う生き物なのだという認識、この人から『ASではない人特有の心のぬくもり』みたいなものを得ることはないのだというやりきれなさのようなものは、普段は平気であったとしても、ふとした時や弱った時など心に表れるようです。

 

 

2.ASと会話が成立しない(調整)

 

1と被る部分もあるのですが、こちらは心というより意思や認識のやり取りや調整についてのことです。「疲れたね。」「そうだね。」「あ、この通り、新しくできたカフェ雰囲気いいんだって。お茶していかない?」「いいね。寄っていこう。」みたいなやりとりですね。

 

ASの場合、途中まで「いいね、そうだね、」と共通の認識を持っている感を出したり合意に向けてのステップを一緒に歩んでる感を出しておきながら、最後に突然NOと言い出したりします。気遣いのない言い方であることも多く、はしごを外されたと感じることも多いでしょう。相手の提案に対して『バサっと斬ったりけなしたり』といった反応を悪気なく繰り出してくるASは多いようです。(悪気無く無自覚にそうなってしまう場合もあれば、本人としては場を楽しくする為のサービスのつもりだったりする場合もあるようです。相手の嫌がっている反応が読めなかったり、仕方なく笑ってくれるのを心から楽しんでいるんだと思い違いをしていたりすることもあります。)

 

 

3.ASと会話が成立しない(意図)

 

これまた前項と被ってしまうところがあるのですが、意図を読めないことで引き起こされるお互いの認識や方向性の調整云々の話がさっきの項であったとするならば、こちらは、ある意味それ以前の「何言ってるか分からない」という状態を引き起こしてしまう意図の読めなさの話です。これが度重なると、頭を掻きむしりたい気持ちになることでしょう。これだけでもノイローゼに追い込まれる人は多いだろうと思われます。私も数多くの同僚や恋人(そして現在結婚している夫)を『頭がおかしくなりそう』な状態にさせてきました。

 

ASに何かを伝えようとする方は、頻繁に「え?」「何の話?」「どういうこと?」と聞かれては、「だからー!」「ちゃんと聞いてた?」と答える羽目になることと思われます。「何でそんなことするの?」「何で今しちゃったの?」「何でしなかったの?」と突っ込む羽目になり頭を抱えるのも定番のやりとりになることでしょう。

 

ASは意図を読めないとよく言われますが、私の知る限り、ASは意図に関して読むだけでなく表すことも下手です。定型の方からすると、ASが何を言っているのか、何を言いたいのか分からないという状態が頻繁に起こります。話が長いとかまとめるのが下手とか言うだけではなく、根気よく最後まで聞いたとしても、「え?それで結局これは何の話だったの?」ということになったりします。

 

 

4.相手の視点に立たない(相手の認識を考慮に入れられない)

 

いわゆる「想像力の欠如」と評されるところにあたるのでしょうか。1~3の問題は、要はこれじゃん?ということになってしまうのかもしれません。

 

相手の視点に立つということをしないので、まず、当然「気持ちを想像する」「事情を察する」「意図を読む」ということが難しかったりできなかったりするのですが、多分更に問題になることの1つが「相手の認識を考慮に入れることができない」というところです。報連相ができなかったり、誤解を避けたり解いたりといったことができなかったり、相手の意図や状況を汲めない結果早とちりをしたり、吃驚するような思い違いをしたりします。

 

相手の視点に立てないということは、自分の姿も客観的に見られないということです。人にされたら怒るようなことも、自分は平気で行ったりします。身だしなみが整わなかったり独創的なことになったりするASの人が多いとされるのも、素材や色等へのこだわりだけでなく、この辺りの客観性のなさも理由のひとつだったりするのかもしれません。

 

 

5.利用されている感じ・必要とされていない感じがする

 

方向性としては逆を向いている要素のような気がしますが、needに関する2方向というところで1つの軸の両端にある問題なのではないかと思います。私もかつて夫に両方言われて、「どっちやの!」と訳が分からなく思っていた時期がありましたが、今は(私なりにですが)分かる気がします。

 

ASと一緒にいることで、必要とされていない感じがしたり、一緒にいても一人でいるような孤独感を感じる方は多いようです。それくらい、心の交流、やりとりが、できていないと感じることが多いのでしょうね。心を感じられずに頼み事をされると、「頼られている」ではなく「利用されている」と感じられるのではないかと思います。「ありがとう」と伝えられても心が感じられなければ、口先だけの感謝で人を動かそうとしているような気がして返って嫌な気持ちになってしまうかもしれません。

 

多分、そのあたりの問題を共有できないまま「私はいつもあなたに利用されている」と訴えても、防衛や相手視点の欠如から逆切れされたり、『そうか・・・頼り過ぎて負担をかけていたんだな』と反省したことにより何も要求されなくなったりして、いずれにせよ孤独感を強める結果になる可能性は高いだろうと思います。

 

何も要求されないようになると、それはそれで「頼られていない」「信頼されていない」「必要とされていない」と感じることになります。それをASに伝えると、「利用している」「必要とされていない」の両者に共通する『心なさ』にASが気付くことは難しい為、「え?じゃぁ結局どうすればいいの?」と言われて怒りや虚しさや話の通じない怖さなどの苦痛を感じることになる可能性は高いだろうと思います。過去の私と夫がこのパターンにはまって離婚寸前まで行きました。

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カサンドラ症候群について書く程に、暗澹たる気持ちになりそうなコミュニケーションの不成立具合が凄いですね。ASの人と一緒にいる人は、本当に大変だろうと思います。ASの一人として、お詫びの心を伝えたいと思います。誠に申し訳ございません。そして、ASの一人として、ASの人も何でか分からないところで突然相手の機嫌が悪くなったり責められたりする訳の分からない日々を生きることを気の毒に思います。双方不幸なのが悲しいところです。

 

こんな流れのまま〆ると希望が無さすぎるので、私、私の知人、ネットで拝見する夫婦の形から見えてくる気がする「ASと非ASでそこそこ上手く行っている同僚関係」「ASと非ASでそこそこ上手く行っている夫婦」について次から少しずつ書いていきたいと思います。

 

同僚関係・夫婦関係は、双方、コミュニケーションの齟齬を減らしていくことに関するノウハウは共通するものがあるように思う一方、関係の作り方や維持の方法、心の持ち方相手の受け入れ方みたいなものには大分違いがあるだろうと思うので、それもできれば書きたいところです。