ASDとADHDは私の全てじゃないけれど

成人になってからASDとADHDの診断を受けた人のブログです。ストラテラを服用しつつぼちぼちやっています。

片付けに気付いた日

 

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私は、かつて片付けられない子供でした。

 

片付ける片づけないの前に、「物がそこにある」「風などの何か・家族などの誰かが動かさない限りそれは移動しない」ということがよく分かっていませんでした。私にとって、物は突然現れ、突然消えるものでした。

 

今になれば親が片づけたり兄弟が使ったりして物が移動していることに気付かなかったのだろうと思うのですが、当時の私には、物が知らない内に消えたり現れたりするように見えていたのです。

 

自分が集中している物しか目に入らないため、机の上にあった鉛筆が転がり落ちたことにもさっぱり気付かないような子供でした。鉛筆が少しずつ無くなっていくことは分かっていても「何でだろう、不思議だな。」くらいに思っていたのを覚えています。(鉛筆が机の上から落ちることに関しては、小学校2年生の途中で発見し理解することができました。)

 

物をどこかにポンと置いたまま忘れてしまうこともありました。呼びかけられたら手に持っている物のことを忘れてしまうような子供だったそうです。また、母親が言うには私は物への執着のない子でもあったそうですが、それ自体「きちんと管理をすれば物はそこに留まる」という感覚が上手く育っていなかったからなのかもしれません。

 

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小さな刺激を気にする神経質な子供だと思われていた私ですが、いつも机の上はぐちゃぐちゃでした。その上で読書や宿題をするので、母親に「よくそんな所で作業できるね」と呆れられたものです。私からすると、机の上は何もなくてもデコボコしているし、本やノートが敷かれた上で読んだり書いたりした方が、学習机に敷かれたビニールマットのベタベタを感じなくて済むので返って気持ちよかったのです。

 

そんな私の母は片付けと掃除に熱心な人で、私にも片付けの重要性や方法を教えてくれました。ですが、私としては片付けをしたからといって物の管理がしやすくなる実感は得られず、見た目がすっきりして良いことは分かるにしても今ひとつ片付けのメリットを感じてはいなかったと思います。

 

机の上に出しっぱなしであっても自分なりの定位置の決まっているものは大体どこにあるか分かっているし、どこにあるのか分からなくなってしまうようなものは、しまったとしても結局どこにしまったか分からなくなってしまうのです。

 

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そんな私が『片付け』というものの意義に気付いたきっかけは、母にコートを買ってもらったことでした。

 

自由になるお金があれば全部本につぎ込みたかった私は、既に10代も半ばを過ぎていたにも関わらずファッションに頓着がありませんでした。元々ファッションに凝る方で好みもハッキリしていた私は、その好みを叶えるのが難しいあまり、成長に従いファッションに関して諦めを持つようになり装うことを放棄してしまっていたのです。

 

そんな私に母が選ばせてくれたコートはシンプルなAラインのコートで、とても私好みのものでした。デパートとはいえ若者向けの手頃な価格のお店で、1万円を少し超えた程度のコートだったと思います。それでも私は「大変なものを買ってもらってしまった!」と慄きました。

 

 

『これは大事にしなくてはならない。』

 

 

今まで着ていたコートとは違う、ラインもキレイなそのコートは、その辺の床に置く訳にも椅子の背もたれにかける訳にもいかないと思いました。シワになったり変な癖がついたりしては大変です。

 

 

そう思った私は、部屋を見まわしてコートを置くのに最適な場所を探しました。

すぐに見つかりました。ハンガーにかけて長押に吊るせば良いのです。

 

 

「え?何でそこ太字?」と思われた方も多いかもしれませんが、太字どころか大きなフォントにしてもよいくらい、その時の私は大きな衝撃を受けました。物を管理するということを、その時、私は初めて理解したのです。

 

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それ以降私は片付けに向き合うようになり、「私の片付け」を模索するようになりました。今では私が母に片づけのアドバイスをすることもあるくらい、物の管理をするようになりました。

 

疲れている時に家に入ってくる物や普段生活にない貰い物など失くしてしまうこともたまにありますが、概ね物は管理できている状態で現在は暮らしています。どこに何があるか分かっているので、外出先で聞かれても大体の物は答えられます。答えられない時は、とても忙しかったり疲れたりしている時です。(そういう時にどうするかが今後の課題です。)

 

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表彰状すら適当に置いてほったらかしにしてしまう私の為に、母はそれを拾い集めてはファイルに入れて保存してくれていました。それを知ったのは大人になってからのことで、「あー、知らない内に消えていく表彰状達は、こうやって回収されていたのか!」と大変驚くと共に、長年の謎が解けた思いになりました。

 

勿論、感謝もしました。中学生位になれば、流石の私も表彰状は自然に消えるわけではないと分かってきてはいたのですが、「ずっとその辺に置いてあるから、要らないのかなと思ってお母さんが捨ててくれているのかな?」と思っていたのです。それならそれで構いはしなかったのですが、取ってあったとなれば、それはそれで嬉しく温かい気持ちになるものです。

 

その表彰状のファイルを見た子供が意外なほど感心し、自分も表彰状を貰うために頑張ろうとやる気を見せていたので、あの頃もくもくと集められていた表彰状もちょっぴり報われたのではないかと思う現在の私です。改めて、母に感謝をしたいところですね。

 

あの頃は、本当にお世話になりました。ありがとうございました。

本やノートの山の上で、宿題をしていた娘より。