ASDとADHDは私の全てじゃないけれど

成人になってからASDとADHDの診断を受けた人のブログです。ストラテラを服用しつつぼちぼちやっています。

「言っていること」+「言いたいこと」

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アスペルガーの人との会話あるあるとしてよく挙げられる会話の例に、「醤油ある?」と尋ねると「あるよ。」と返されて取ってくれないというものがありますが、これは私もよく発生させてしまう会話パターンで耳が痛いところです。
 
『目玉焼きにいつも醤油をかける人が目玉焼きを食べようとしている』などの「明らかに取って欲しいってことだろうな」と分かるシーンでは醤油を渡すことができるのですが、実際の会話パターンには『買い出しに行きたかったので残量を聞いた』などという状況もあるわけです。
 
そういう時に「はいどうぞ。」と渡せば「いや、いらないから。あるかどうか聞いただけだって。」と返されてしまう事になります。
 

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これも、相手がメモを取っているなどの『パッと見て分かりやすい行動』をしていれば分かります。(昔はそれでも分からなかったと思いますが、今はその程度には相手の動きを意識するようにしています。)
 
ですが、会話の流れや状況によって『買い出しに行きたかったので残量を聞いた』ということが相手に伝わる筈だと思っている人の場合、「買い出しに行きたいから醤油の残量教えて」とは言いません。
 
『そろそろ醤油がなくなりそうだという共通認識を相手も持っているだろう。』
 
『今日買い出しに行きたいことを相手は知っているのだから、残り少ない醤油を見れば残量について触れていることに気付くだろう。』 
 
という予測による会話が進行していくと、私にとっては基本的にお手上げの状態になります。

 

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これは、仕事においてかなり支障になります。「言っていること」は分かるけれど「言いたいこと」が分からないという事態に陥りやすいのです。
 
この2つの要素は、定型発達(もしくは非ASD)の人との会話においてかなり重要なものです。先ほどの醤油の話で言うのであれば、「醤油ある?」が言っていることで、「醤油を取って渡して欲しい」が言いたいことです。
 
定型発達(非ASD)の人は、基本的に相手の意向を尊重する形を取ろうとし、強制の形となることを避けようとします。物事を進めるにあたって現状の認識を共有し、それによって導かれる結論に沿った行動を『各々が了承の上で自発的にとった』という形になることは、とても大切なことです。それが基本であるからこそ、強制や命令やお願いがそれぞれの意味を持って機能するのだろうと思います。
 
そして、この『頭の中(意図・状況把握・予測など)と心の中(感情・気分など)を定型発達的にやりとりし調整すること』は、基本的に無意識に行われます。会話においてはそれが基本であって、わざわざそれを「やろう」としてやっているわけではないようです。
 
意識的に行うのは、むしろ『それらの調整方法を行わない時』なのではないかと思うのですが、どうなのでしょうか。強制や命令やお願いなどの、イレギュラーな交渉術がそれにあたるのではないかと思います。
 
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「醤油取って」は、自動的に「醤油ある?」になります。「醤油取って」と直接的に言うことは、相手の意思決定の自由を介在させない強制的な指示になります。そうなると答えは「いいよ」「嫌だよ」の2種類になってしまい、緊張を生みやすいやり取りになってしまう危険性が高まるので、摩擦を減らす為に『はっきり言わないことによる調整術』が存在するのだろうと思います。
 
とはいえ、私にはその『見えない会話』はレベルが高く、意義は何となく感じられても中々活用することができません。「車の運転は便利だろうと思うけれど何度教習所に通っても免許の取れる気配はない。」といったところでしょうか。難しいところです。

 

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現在の夫と私は、『夫がハッキリ言うこと』『私にとってデータの蓄積が多い夫の思考回路は、ある程度予測できること。』『一回で通じない会話は回数を増やすこと』で会話を回しています。
 
夫が定型発達の習い性で見えない発言をしたとしても、私が夫の意図を予測できない場合であっても、回数を増やすことで大半のことは解決できてしまいます。「醤油ある?」「あるよ。」「ちょうだい。」「はいよ。」というやり取りを割り切ることができれば、醤油をめぐるやりとりは、それで済んでしまうのです。
 
とはいえ、それは夫と私の間柄だからできることです。やはり、一部の親しい友人や家族以外の人との会話では、そのような『私にとって分かりやすい会話』をしてもらうのは難しいのが現状です。
 
「では、5W1Hを確認してみては?」というのが、この事柄に対して頂くアドバイスとしては定番のようです。私もカウンセラーさんに言われたことがあります。実際、言外の意図や、推し量ることで理解する基準点などのものは5W1Hで確認することが有効であると思います。
 
ところが、5W1Hを確認する行為により、返って会話は暗礁へ乗り上げやすくなるのではないかと考えています。
 
次は、その5W1Hでは語られない『Why(なぜ)』について・・・「言っていること」は分かっても、「言いたいこと」が分からないと、具体的にどういったことが起こるのかということを書いてみたいと思います。