ASDとADHDは私の全てじゃないけれど

成人になってからASDとADHDの診断を受けた人のブログです。ストラテラを服用しつつぼちぼちやっています。

5W1Hの怪

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夏なので怪談っぽいタイトルにしてみました。「言っていること」+「言いたいこと」の続きです。

 

「言っていること」は分かっても、「言いたいこと」が分からないと、会話による意思の疎通はとても難しくなります。例として、母親と幼い子供の食事シーンを挙げてみます。

 

定番のやりとりとして、遊び食べをしている子供に「食べ物はおもちゃじゃないのよ」というシーンがありますね。この場合、『言っていること』は「食べ物はおもちゃじゃないのよ」で、『言いたいこと』は「だから遊んでないで食べなさい」ということになります。

 

定型発達の人であれば、「食べ物はおもちゃじゃないのよ」=「だから遊んでないで食べなさい」となってすんなり理解できる言葉ですが、仮に子供の側をASDとすると、これは理解が難しい言葉ということになります。

 

・「食べ物はおもちゃじゃないのよ」→明言されているので分かる

・「だから遊んでないで食べなさい」→言われていないので分からない

 

ということになったりするのです。

 

ところが、それは母親には伝わりません。

「食べ物はおもちゃじゃない」が理解できていないから遊ぶのをやめないのだと判断され、更に細かく「食べ物はおもちゃじゃない」ことの説明を受けたり、しっかり話を聞いていないと叱られたり、反抗的な態度だと取られたりします。

 

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例をシンプルにする為に親子の会話を挙げてみましたが、社会人として成人の間で発生する会話も概ねこのようなものであると思います。特に、仕事の場では「指示を出す・出された指示を受ける」というやり取りが頻発する為、このような会話のズレによる問題は頻発することとなります。

 

よく、ASDの人のコミュニケーション上の問題として『オープンクエスチョンに答えられない』『雑談ができない』『曖昧な表現やアレそれなどの指示語が伝わらない』などの事柄が挙げられますが、個人的には、そもそも上記のような情報伝達の不成立が、仕事をする上での大きな難所になるのではないかと思っています。

 

ASDの人と一緒に働くことになる定型発達(もしくは非ASD)の人の側から考えてみると、オープンクエスチョンは選択肢を絞ればいいし、雑談は「この人は雑談が不得意なのね」と思うことはできそうですし、曖昧な表現や指示語は明確にすれば伝えることができそうです。この辺りはいわゆる合理的配慮のノウハウを習得していくことで対応できる余地のあることなのではないかと思います。

 

ASD側からしても、オープンクエスチョンに対して選択肢を絞る(具体的な選択肢から選ばせてもらう)他、雑談が苦手であることを伝えたり相槌の特訓をしたり、曖昧な表現や指示語に対しては確認を取っていくという方法は(難しいけれど)取ることは(環境次第で)できると思います。

 

その流れで行けば、『言っていることは分かっても言いたいことが分からないということであれば、言いたい方もそれをはっきり言えばいい』ということになります。ASDサイドへのアドバイスとしては「言いたいことが分からない」のであれば、それを聞けばいいじゃないか。ということで、5W1Hの確認が推奨されることは多いようです。

 

ですが、個人的には、5W1Hの確認では言いたいことを教えて貰うことができなかったという経験が多いので、どうしたらいいのかな?と今でも考えているところです。

 

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5W1Hとは、When(いつ)Where(どこで)Who(誰が)What(何を)How(どのように・どうする)Why(なぜ)という6つの要素に分けられた情報伝達のポイントです。これにそって情報を整理すると相手に分かりやすく漏れなく伝えることができるというもので、もとは新聞記事を書く際の原則なのだそうですね。ビジネスでよく使われる言葉であり、Wen(いつ)Haw much(いくらで)を加えた6W2Hもあるようです。

 

先ほどのお母さんと子供の例をこれに当てはめてみると、

 

今・ここで・子供に・食べ物はおもちゃでないということを・分かってほしい・遊んでいるから

 

となります。

まず、How(どのように・どうする)に対して「分かってほしい」が当てはめられてしまうところで躓きが見えます。この場合、ビジネスで言えばHowは「(食べ物がおもちゃではないことを理解して)遊び食べをやめて、落ち着いて食べて欲しい。」ということになると思うのですが、お母さんから語られる言葉は「分かってほしい」になります。

 

「食べ物はおもちゃじゃないのよ」という言葉で遊び食べが止まらなければ、次に来る言葉は「食べ物はおもちゃじゃないって言っているのにどうして分からないの?ちゃんと聞いてる?」という内容のものになったりします。『分かること』により次のステップが実行されることが、お母さんの描く「普通そうなる筈の流れ」だからです。

 

 

そのようにして見えなくなるHow(分かることによって遊び食べをやめて落ち着いて食べてほしい)を聞くために「なぜ?」と言えば、返ってくる言葉は、「遊んでいるから」となります。「食べ物で遊ばずに落ち着いて食べてほしいから」とはならないのです。

 

「何で今そんな話をするの?」と聞けば「あなたが食べ物で遊んでいるからでしょ。」となり、『食べ物で遊ばずに落ち着いて食べてほしいから』は母親の口から語られることはありません。幼い頃の私であれば、多分『何で突然そんな話が始まったんだろう?』と疑問に思いながら、「うん?そうだね、食べ物はおもちゃじゃないね?」と答えることになっただろうと思います。(そもそも自分の行動が遊び食べに見えているということに気付いていなかったりします。)

 

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一向に遊び食べをやめる気配のない子供に、母親は再度『食べ物はおもちゃじゃない』と教育しようとし、ズレた会話はズレたまま進行していき、説教コースや呆れコースになることすらあります。『言わなくても当然分かること』を、あえて分からないフリをしてとぼけているか、ちゃんと話を聞いていないので分からないのだと理解され、態度や姿勢の問題として扱われることになるからではないかと思います。

 

私の場合、自分の理解や返答が間違っていた為に母親の気分を害したことは理解できる子供だったのですが、何がどう間違っているかは分からないので、

 

「え?ごめん。今はご飯の途中だから遊んじゃだめだよね。遊びたいなら、早く食べて後でおもちゃで遊びなさいってこと?」

 

と聞いたりして、更に訳のわからないことにしていくパターンが多かったように思います。今は子供と母親のたとえ話としてこれを書いていますが、私はこれを大人になってからも職場で繰り返していたので、就労に対する困難というものはとてもシンプルでいて複雑なものであると感じています。

 

次は、5W1Hの「なぜ」「どのようにして」に囲われてしまう言葉と、その仕組みについて考えて行きたいと思います。