ASDとADHDは私の全てじゃないけれど

成人になってからASDとADHDの診断を受けた人のブログです。ストラテラを服用しつつぼちぼちやっています。

Whyでは分からないHowのこと

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5W1Hの怪の続きです。5W1Hの「なぜ」「どのようにして」に囲われてしまう言葉と、その仕組みについて考えていきたいと思います。

 

 

『言っていることは分かっても言いたいことが分からない』ということであれば、「言いたいことをはっきり言えばいいじゃん」ということになるのだと思うのですが、そこで

定型発達(非ASD)の人は、基本的に相手の意向を尊重する形を取ろうとし、強制の形となることを避けようとします。物事を進めるにあたって現状の認識を共有し、それによって導かれる結論に沿った行動を『各々が了承の上で自発的にとった』という形になることは、とても大切なことです。それが基本であるからこそ、強制や命令やお願いがそれぞれの意味を持って機能するのだろうと思います。

 

そして、この『頭の中(意図・状況把握・予測など)と心の中(感情・気分など)を定型発達的にやりとりし調整すること』は、基本的に無意識に行われます。会話においてはそれが基本であって、わざわざそれを「やろう」としてやっているわけではないのです。

 

「言っていること」+「言いたいこと」

という部分が外せない要素として問題化してくるのではないかと思います。

 

「食べ物はおもちゃじゃないのよ」という言葉で遊び食べが止まらなければ、次に来る言葉は「食べ物はおもちゃじゃないって言っているのにどうして分からないの?ちゃんと聞いてる?」という内容のものになったりします。『分かること』により次のステップが実行されることが、お母さんの描く「普通そうなる筈の流れ」だからです。

 

そうして見えなくなるHowの大事なところ(分かることによって遊び食べをやめて落ち着いて食べてほしい)を聞くために「なぜ?」と言えば、返ってくる言葉は、「遊んでいるから」となります。「食べ物で遊ばずに落ち着いて食べてほしいから」とはならないのです。

 

5W1Hの怪

 

定型発達(非ASD)的な調整術に基づいてコミュニケーションを取るのであれば、「遊んでないで食べなさい!」は最終手段です。いわゆる「いい加減にしないとお母さん怒るよ!(もう怒ってる)」の段階でようやく飛び出すフレーズです。

 

『分かること』により次のステップが実行されることが、お母さんの描く『普通そうなる筈の流れ』である以上、お母さんはまずそこから子供に働きかけようとしている訳で、お母さんからすれば「悪いことをしている子供に譲歩してあげている」状態なのだろうと考えられます。

 

だからこその「いい加減にしないとお母さん怒るよ!」なのでしょう。単に怒りを我慢できないから・言うことを聞かないからということだけで怒っているのではなく、『譲歩を踏みにじったこと』への怒りがその中に入っているのではないかと思うのです。「何で今そんな話をするの?」という子供に「あなたが食べ物で遊んでいるからでしょ。」と返すお母さんの図は、お母さんからすれば、わざわざ鞘に納めておいてあげている刀(譲歩)を、子供が突っつきに来ているようなものです。イライラしても無理はありません。

 

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そこに来て「どうして欲しいの?」「それでどうすればいいの?」などと聞かれれば、それはお母さんも怒るだろうと思います。「食べ物はおもちゃじゃないのよ」が分かれば「遊んでいないで落ち着いて食べなさい。」という意図が伝わる筈だと思っているお母さんからすれば、

 

・「食べ物はおもちゃじゃないのよ」が分からないから遊び食べをやめない。

 

・「食べ物はおもちゃじゃないのよ」は分かったが、遊び食べをやめたくないので分からないふりをしている。

 

ということになるわけです。前者と取られれば、お母さんは『食べ物はおもちゃじゃないという理解』の強化に努めるでしょう。脅したりすかしたり悲しんで見せたり愛情深く根気よく教えたり、お母さんの性格や理念や状況によって色合いは様々になるにせよ、「だからね?いい?食べ物っていうのは大切なものなの。云々・・・」という展開になることは多いと思われます。

 

後者と受け取られれば、反抗的な態度ということで、その態度や姿勢そのものへの説教や嘆きが始まります。心がかなり広く慈愛に満ちたお母さんであれば、その捻くれた態度を認めてあげようと働きかけることもありますね。成長を感じてみたりもするのかもしれません。優しく諭されることもあるでしょう。

 

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私の場合、働くようになってから特にこれらの伝わらなさ分からなさに困るようになりました。

 

『言っていることが分からないのだろう。(だから言いたいことが伝わらないんだろう。)』と理解されれば、「だからね?いい?」「ちゃんと聞いてました?」「はー・・・・だーかーらー・・・」が頻発することになります。そうして、積み重なった時には「いい加減にしてください!」「もういいです・・・」と言われるというお約束の展開になる訳です。この一連の流れは、概ね前述の仕組みから発生していると言ってよいのではないかと思います。

 

『言っていることが分かるのなら、なぜ言いたいことを汲んで動かない?』となれば、それは姿勢や態度の問題ということになります。「ふざけてるんですか?」「やる気ある?」「適当にハイって言っておけばいいと思ってるんでしょ」と言われるパターンは私の中で定番です。

 

こう書くと異様にアタリのきつい職場のように見えるかもしれませんが、そうではありません。私が相手をそうさせていることは分かります。それくらい、私には「普通に伝わる筈の意図」が伝わらないのです。

 

(因みに、母子の食事風景に例えた場合の『慈愛に満ちたお母さん』的な対応を取られたこともあります。有難いことです。ですが、実際には温かく見守り理解をされるべき『反抗的な私』は存在せず、そこにはただ意図と空気の読めない私がいるだけです。善意の働きかけに対してどうすれば良いのか分からず、しかし誤解の解き方も見つからず、とても困った気持ちになりました。)

 

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困ったことに、私は未だにこの5W1Hを読み取れないし尋ねることもできないという状況に対して、どうすれば良いのか分かっていません。相手の方が発達障害(の中のASD)について詳しい方であれば伝わるのかな?とも思うのですが、専門のカウンセラーさんとの会話であったとしてもここが伝わらずに四苦八苦することはあります。

 

「いえ、今のお話そのものは分かるんです。えーと、私が分からないのは、それでこの話を聞いて私はどうしたら良いのか・・・・私がどうなることを意図して今のお話をされたのかが、分からないんです。」

 

などと不明瞭な発言をする訳にもいきません。何を言っているのか分からない人と見なされるかと思います。雑談であれば、相手が何を言っているのかよく分からなくても一応会話を進めることができてしまう部分もありますが、『情報伝達が行われる必要のある場面』ではそうもいきません。子供の学校関係のやりとり、地区の活動への参加、夫の実家の法事でのふるまい等々・・・・ごまかしの効かないシーンから逃げ切ることは難しいでしょう。

 

ということで、私は今でも諦め悪く、何とかして5W1Hを知る方法を手にしたいと思っているのです。就労移行支援事業所へ通う予定もあるのですが、どれだけ理解や配慮のあるところに運よく入れたとしても、この『意図を読めないこと』という壁が全く無くなるということは難しいのではないかな・・・・と考えています。

 

なので、せめて手を伸ばしてくれる人に向かって伸ばせる手を長くしておけるよう、頑張ってみたいな。と思っているところです。過剰適応で何度もコケている私ですが、『やって大変・やらなくて大変』の中で、少しずつ『ベストではないけど幾らかベター』な方法を身に着けていきたいですね。じりじりとにじり寄っていこうと思います。