ASDとADHDは私の全てじゃないけれど

成人になってからASDとADHDの診断を受けた人のブログです。ストラテラを服用しつつぼちぼちやっています。

おじいちゃんの思い出

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ここ数日、春に向けて球根を植えたり鉢増しをしたり寄せ植えを再構築したりと園芸作業をしていたのでそれについて書こうと思っていたのですが、私に植物を分けてくれる祖母を思い出したらついでに祖父のことを思い出したので、今日はその思い出について書くことにします。

 

私の祖父母、曾祖父母は割合長生きの人が多い為、家族との会話で「おじいちゃんが前に言ってたじゃん?」ということを言われると、「どのおじいちゃんのこと?」と聞くことになります。

 

そんなおじいちゃん達の中でも一番最後に息を引き取った『今日思い出したおじいちゃん』は小柄ながらもしっかりした体の人で、昔はよく畑でスイカを掴み、左右に開くように割っていました。そうして、やれ食べろそれ食べろどうだ旨いかと賑やかにやいやい言いながら畑の中で食べさせてくれたものです。

 

各エピソードにエッジが効き過ぎている為、匿名性に配慮するとあまり個別の思い出は書けなくなるようなおじいちゃんだったのですが、各孫のことをよく可愛がる人であったと思います。目を細めて孫を可愛がる好々爺的な振る舞いのできない人で、可愛がろうにもどうしていいかよく分からないといった雰囲気でいる様子が幼い頃の記憶にあります。

 

手を広げて、「よし、来るか、来るか?おい、よせ。」と言って嬉しそうにやりにくそうに(照れて?)笑っていた覚えがあります。言葉は優しく穏やかでなくとも、私にも分かるくらいハッキリと顔も声も喜んでいたので、このお爺さんは私のことが可愛いのだなぁ・・・という感覚はあったように思います。なので、やいやい言われても怖くはありませんでした。

 

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今思うと、なんのかんの言いながら、私が嫌がることはしない人だったなと思います。孫に対しては無理やり抱き上げるようなことをしない(できない?)人だったので好ましかったのかもしれません。私のことは神経質だと思っていただろうと思うのですが、それをどうこうしようとすることはなく「んっとに細かいなぁ!」「何だ、これ嫌か?!嫌か、そうか!」と言いながら笑っていた記憶が残っています。

 

「大丈夫だよ~~」と言いながら嫌なことをしてくる大人や、「私は子供のことが好きなの!」という内容の言葉を言いながら子供の主張に耳を貸さない大人の方が、子供の頃の私にとっては余程意味不明な存在でした。大人に大丈夫と言われることは大抵大丈夫じゃないし、「いいよいいよ」と言われていたかと思えばある時突然怒られる(と私には見える)パターンは、子供の頃の私には定番でした。その優しそうな大人の意味不明さに「よく分かんないな」と思うことの多かった私にとって、おじいちゃんは言動が一致している人で、なおかつ私の意思が伝わる人に見えていたのだろうと思います。

 

「やい・オイ・バカ」が3大口癖だったと言っていいような、口が荒く魚の鮮度に煩く主張の強い『田舎の漁師町のお爺さん』だった祖父は、晩年は持病で弱りながらも曾孫であるコウのことも可愛がってくれていました。

 

コウも、訛りの強いおじいちゃんの話は殆ど分からないのに、可愛がられてることと嫌なことはされないことは分かる為か、噛み合わない会話をしながらよく懐いていました。

 

写真を見ると、集中して絵を書くコウを見ているおじいちゃんは「フム」という表情をしており、「あぁ、おじいちゃんってこういう風だったなぁ」と思い出される気がします。普段はよくコウのことを茶化すのに、コウが集中して何かをしている時は口を挟まず黙って見ているのです。そういうところも、コウにとって居心地が良かったのかもしれないな、と思います。

 

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息を引き取る数ヶ月前からは殆ど寝たきりになり、背中が暑いと言っていたおじいちゃん。

 

「ヘルパーさんに、ジェルシートを敷くと良いって言われたんだけどねぇ。」と言うおばあちゃんに、「今調べたらレビューが賛否両論で、冷感はあるけど1年で破れてしまったっていう意見もあるんだけどどうする?」と聞いたら、「はぁ1年持てば大丈夫だけど。お爺さんの方が1年持ちませんに。」と返すおばあちゃんの隣でベッドの上から頷いていたおじいちゃん。

 

いつも、「泊まっていかんのか。(私の夫は運転するから)酒飲めんのか。」と言っていたおじいちゃん。

 

晩年は料理にはまって、かつてスイカ畑で言っていたのと同じように「どうだ旨いか。」と言っていたおじいちゃん。

 

世を去る直前に顔を出した母との会話で、祖母のことを「俺にとっては最高の女房だった」と言ったおじいちゃん。

 

「バッカお前それは・・・」とやいやい言い合いながら、たまに「まぁ、それはそうか・・・・。」と言って笑うこともあったおじいちゃん。

 

魚を食べる度にこれは不味いのコレは旨いのと言って、やたらと私と夫にカツオの刺身を食べさせようとしていたおじいちゃん。

 

弟が腕相撲で中々勝てなかったおじいちゃん。

 

軽トラで海に連れて行ってくれたおじいちゃん。

 

 

そういう、他人にとってはどうでもいいであろう、私にとって意味のある思い出を多く残してくれたおじいちゃんに思いを馳せる秋の夜長でした。