ASDとADHDは私の全てじゃないけれど

成人になってからASDとADHDの診断を受けた人のブログです。ストラテラを服用しつつぼちぼちやっています。

療育と私とぐるぐる思考の巻

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私とコウの筋トレについて書いていたところ、スクールカウンセリングの中で療育や教育、社会について迷うことや考えることがありました。次回のスクールカウンセリングまでに少し考えや気持ちを整理したくなったので、筋トレ記事は一旦下書きを保存して、まずそちらについて書くことにします。

 

大雑把に言うと、信頼しているカウンセラーさんからお勧め頂いた療育施設が、「スパルタだけど褒めて伸ばすところです」ということでサイトを見てみたら、あーコウにはちょっとどうなのかなーと思ってしまいぐるぐる思考がスタートしてしまったのです。

 

『私が子供だったらキツかったかもなー感覚を勝手に決められるのって・・・・「正しい感じ方」があるって結構キツいんだよなぁ・・・』と思ったり、でも「お母さんがそうやって甘やかすから伸びないんですよ」って言われそうな施設の予感がするんだけどなぁ・・・・

 

などと思いつつ読んでいくと、家庭でも療育できるように親への指導があるようで、

 

「これコウっていうか私が参らないかなーでもこれ逃げかなー・・・・・」

 

とよく分からなくなったところで夫と母にサイトを見せたらそれぞれから「うーん。方法は色々だと思うけどコウには合わないんじゃない・・・?」「いやー。俺は、ここはナイと思うわ。」といった反応で。

 

それに対し、『あ、私と同じ意見!良かった!』とはならず、私は更にぐるぐるしながら「でもオススメで私が通っている病院の医師も『いいんじゃない?一回行ってみれば』って言ってたしそっちが専門だしでも経験的には何か不安だし・・・・」

 

と、またループに。

 

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ループは精神の健康によくないということで、友人に電話をし、「かくかくしかじかで君ならどうする?」と聞いたら、「うーん。私なら、一応親だけで一回様子を見に行くかなー。」とのこと。

 

その上で彼女は、「目的地までのすごくいい道があったとして、それが親や子供の歩ける道じゃないなら、それは目的地にたどり着くことにならない。」と言いました。

 

「いい道でもいい道具があっても、どんどん歩けなくなってしまう。たどり着きたい目的地にたどり着くためには、自分が歩ける道、自分が歩く道を行く上で、その助けになるものを取り入れなくてはいけない。」という彼女の話を聞いて、私は目からウロコがぼろんぼろんと落ちました。

 

「確かにその通り。君は天才だ!」

 

と友人を尊敬しまくりつつちょっと回復した私は、ちょっと落ち着いてもう一度考えてみることにしました。

 

 

ということで既にやたら長くなってしまったので、次に、自分は一体何を不安に思ったのかについて書いていこうと思います。