ASDとADHDは私の全てじゃないけれど

成人になってからASDとADHDの診断を受けた人のブログです。ストラテラを服用しつつぼちぼちやっています。

飛ぶための羽はあるのか考えてみる(3)

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前回、私は

では、私が「無理じゃん」と思っているかというと、そんなことはありません。「無理」ではなく「難しい」と思っているだけです。可能かどうかで言えば、可能な筈です。現に、そのようにして定型発達の人とASDの人がコミュニケーションを成立し、関係を保ち協力しあえることやその例も、私は知っています。意外と居るものです。私と夫も、ちょこちょこすれ違いぶつかりながらも、ぼちぼち仲良くやっています。長い時間を夫婦として過ごしている人も知っています。共に働いている人も知っています。実際にそういう人もいるのです。

飛ぶための羽はあるのか考えてみる(2)

と言いました。今回は、その「上手くいく例から見えるポイント」について、定型発達(非ASD)者側からできることなど書いていきたいと思います。

 

 

1.「こういう人(生き物)なんだと」認識すること

 

言うは易し行うは難しですが、ここが一番重要なポイントかもしれません。ASDと定型(非ASD)間において、おおむね良好な関係を築いている人達の共通点として、ASDの人のことを「あぁ、この人ってこういう人なんだな。」と納得しているというものが挙げられます。

 

これは、最初の内からストーンと理解し受け入れられてしまう人もいれば、多くの苦悩の果てにようやく悟りを開いたという人もいます。夫が後者のタイプです。今でもたまに「んあぁ!」と叫びたくなる時はあるようですが、そういう時は距離を置いて冷静さを取り戻しつつ付き合ってくれているようです。苦労人ですね。

 

私の母も、私が小学校高学年のころ家庭訪問に来ていた先生(中学校赴任の経験あり)に、「娘のような子供も中学に行けば居るでしょうか?」と聞いたところ、「うーん。ちょっと娘さんのような子供は今まで見たことがないですね。」との返答を受け、その時唐突に「あぁ、これがこの子なんだ!」とブレイクスルーが訪れたそうです。先生が、私のことをよく見て理解し、良いところも悪いところも認めてくれる先生だったことがまた良い結果につながったそうです。

 

 

2.無理をしない

 

つい、分かり合おうとすることに熱が入ると無理を重ねてしまいがちです。話の途中であっても「ごめんね、今、急に疲れが出てきて・・・」という感じの無難なことを言って、そっとしておいて貰いましょう。それでもしつこくしてきたら、そんな状態のASDと一緒にいるのは疲れて当然です。やわらかい理由を述べつつも、はっきりキッパリと「今は一人で休みたい」という旨を伝えましょう。遠慮は無用だと思います。

 

というよりも、そこまで参ってしまうようなASDの人を相手にしている場合、多分遠慮していては急速に消耗して精神が追い込まれていく可能性は高いです。休みましょう。そして空気で伝えずキッパリはっきり言いましょう。特に、仕事での関係はできるだけ逆恨みを避けるべく、一応当たりの良い(そして明確で納得しやすい)理由をいくつか事前に作っておくことをおすすめします。

 

因みに、私の夫はダイレクトに「ごめん、ちょっと無理」などと言います。「ダメージが蓄積してきた」「イライラしてきた」などと柔らかさ0で伝えてくることもあります。その時は、あぁそこまで追いつめてすまんかったなと思うばかりです。妙なもので、私はそういう時、「君も話したいだろうと思うけど」などの前置きや気遣いを見せられると、申し訳なさと共に返って不安な気持ちになったりして、場合によってはそれが高じてソワソワイライラしたりします。

 

理不尽だとは思いますので言葉にしませんが、私の中のASDがざわついておる!という感じなのです。つまり、夫の中の定型と私の中のASDのぶつかり合いなんでしょうね。分かっちゃいるけど止められない。そういう時はとにかく離れましょう。

 

※眩暈、低血圧、頭痛等、適当な理由は色々ありますが、余裕のある時に、何を選ぶか相手の反応を見て安全牌を探しておくと良いかもしれません。ASDの人は思いがけないところに引っかかったり反応したりします。

 

頭痛なら薬を飲むようしつこいとか、眩暈なら病院に行かなくていいのかとソワソワするとか、低血圧なら夜更かしだ何だと原因追及が始まってしまう等々・・・・休むつもりで言った一言により、返って何かとうるさくなる可能性もあります。普段から傾向を探りつつ、予防線を張っておくのもいいかもしれません。

 

 

3.「相手にどうして欲しいか」よりも「自分がどうしたいか」

 

「痛い!足を踏まれた!」と言えば周囲の視線はその人に集まり、「痛い!今足踏んだの誰?!」と言えば、周囲の視線は足を踏んだ人に集まるそうです。(すぐ分からなければ探そうとします。)確かにそうなるだろうなという感じがします。

 

人の心の注目するところや向く方向は、その後の思考の展開に影響を及ぼし行動として現れます。「相手にどうして欲しいか」と考えると、相手のことをよく考えるようになります。その状態は、多分定型発達(非ASD)の性質も相まって、しんどい状況を生み出しやすくなります。相手のことを考えれば「相手にいかに分かってもらうか」の意識になりやすく、ついつい共感ベースの会話をしてしまったり、「空気や意識の微調整による合意形成」を図ろうとしてしまったりするからです。それは、多分大抵のASDの人には通じません。ストレスを増やす理由になりやすいのではないかと思います。

 

「自分がどうしたいか」で考えて出てきたものを、極力ストレートに伝えればいいのです。

 

「暑いので窓を開けたい」→「暑いので窓を開けて下さい」

「醤油が欲しい」→「醤油が欲しい(取って)」

「それは壊れやすいから端に置かれるのは嫌だ」→「それ壊はれやすいから端に置かないで、もっと真ん中に置いて。」

 

くらいのシンプルさでいけるようになった時、ストレスが減っている自分に気付くかもしれません。「ハッキリ言わなきゃ分からないの?!」とイラついた時がチャンスかもしれません。日頃封印されし「ハッキリ言う」を解放してみましょう。

 

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最後にもう一つ。仕事上の付き合いなど公的な関係ではなく、夫婦などのプライベートで深いかかわりのある関係の場合は、愛情と割り切りも重要な要素になってくるようです。相手が愛情を感じたり重視したりする感性を持っているかどうかはさておき、定型発達(非ASD)側は、多分、愛情を持たないと自分が潰れていきます。愛情を感じられないことに傷つくこともよくありますが、同時に、愛情を持てない関係を続けることにも深く傷つくことがあるのです。

 

ひょっとしたら、今現在思い描いている愛情とは違った形の愛情もあるのかもしれません。心の入れ込みや情の交流ばかりが愛情ではないということもあります。自分の為に、ほんのちょぴりでもいいから相手への愛情が見つかるといいですね。くされ縁感覚でも、それを「しょうがないな。まぁいいか。」と割り切りで受け止める時、そこにはある種の愛情が発生することもあるかもしれません。

 

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場合によっては、ASに形だけでもいいからマナーとしてお礼や気遣いを見せるよう教えていくのもいいかもしれませんね。私の知っている夫婦は、新婚時代に「口先だけでもいいから『荷物持とうか?』って聞いて。」と言ったそうです。中々の猛者ですね。あと、ある程度不快やムカつきは我慢せず口に出していくのはアリという夫婦も多い印象です。相手次第でしょうが、溜めない工夫として大切なことかもしれません。同時に、察することのできないASDに自分の快不快をストレートに伝えることにもなるので、結構必要なことなのかもしれません。

 

次は、今回書いた「上手くいく例から見えるポイント」などを通して思ったことを書いていきます。『飛ぶための羽はあるのか考えてみる』シリーズの最初に書いた、「希望でもあり諦めでもあるだろうと思います。」の部分について触れていく予定です。