ASDとADHDは私の全てじゃないけれど

成人になってからASDとADHDの診断を受けた人のブログです。ストラテラを服用しつつぼちぼちやっています。

子供のこと備忘録

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コウに関するあれこれのことを、ふわーっと忘れてしまいそうなバタついたこの頃なので、まとまりのないままの記録を残しておくことにします。

 

2つの物の間の視線の往復が苦手

これは私も学生時代に悩まされたことなのですが、2つの物の間を視線を往復させて見ることが苦手であると、黒板の内容をノートに書き写すことや、読書感想文の下書きを清書することのような「書き写し作業」が凄く大変な作業になってくるのですね。ミスも多いし、何だか酔ったり疲れたりしてしてきます。文章を書き写す時など、「書きかけの所」に目線をぱっと戻さないといけないのですが、それがどうもできない。

 

これは、訓練でいくらかはどうにかなる場合もあるらしいのですが、ある程度苦手なまま行くことになるのかもしれません。読書感想文の清書に関しては、コウの書いた下書きを私がPCで原稿用紙に入力し、『行の頭や終わりの文字が違っていたら、それはもう写し間違えだよね。』という状況を作りました。

 

ついでに、印刷した下書きの紙を縦長に折り畳み、少ない行の中から「現在書き写している所」を探せばいいようにしました。この方法はコウにも評判が良かったです。いずれは、学校でもそうさせて欲しいことを先生に伝える必要があるかもしれません・・・が、先生がどの程度のことを良しとしてくれるかは先生次第で振れ幅も大きいと思いますので、またその時々で随時考えることなのかもしれませんね。

 

(視線の往復作業や清書作業は現在の私もとても苦手なので、読書感想文の清書は付き添っているこっちも段々頭がぐちゃぐちゃしてきて収集の付かなさこの上なしでした。ともかく無事提出できて良かったです。)

 

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聞き間違えと忘れ物のこと

 運動会の練習&本番の疲れと夏の疲れがまとまって現れたのか、聞き間違えや聞き直し、忘れ物が増えています。家に帰った時点で連絡帳袋を確認させるのですが、そもそも連絡帳袋に入る筈のものがバラバラになっていたり、筆箱の中身がランドセルの中からザラザラと出てきたりするような有様で、テコ入れの必要を感じます。同時に、これはちょっと助力が必要かなと思います。

 

教科書等、ノートの間に挟まっていたり学校に置き忘れていたりと「家に忘れたのか学校にあるのか無くしたのかよく分からない」みたいなものも多く、掃除中にソファーの下から教科書が出てきた時にはクラクラしそうになりました(私もそういう小学生だったので、さぞ母親の血液循環系にダメージを与えたことと思います。)

 

「確認した?」「うん」のやりとりも実体と合わない形骸的なものになっていたので、再度確認の必要性と現状をコウに話しました。(ウソや誤魔化しによって最終的に状況が積むパターンを大人になってから行うとどうなるのかも。時に、怒られてでも早めの白状が必要なこと等々。)

 

更に言えば、私は確認時点でミスがあっても基本的にコウのことを咎めないので、「確認を促された時点で対応しておけば叱られずに自分も後々ミスに困ることもなかったのだ」ということ、即時対応の重要性を改めて強調しました。ついでに、相手に少し『やる気』を感じさせるというパフォーマンスの重要性についても強調しました。

 

やる気を感じさせることについて『少し』としているのは、やる気を多く感じさせすぎると相手の期待のハードルを上げて自滅するからです。やる気を感じさせないと不興や怒りを買いやすいので、『少し』示すことは大事であると私は考えています。同時に、コウが相手の『やる気』を間に受けて「何で???」となることを減らせたらなと思います。

 

パフォーマンスとしてのやる気の文脈を分かるということは難しいことだとは思いますが、社会性において大切なことかと思います。これに関しては、定型発達者であり同性の先輩であるところの夫が、よい練習台になってくれているのではないかと見ています。

 

今までは、学校から帰ったらまず連絡帳袋の確認をし、次におやつで後に宿題という段取りだったのですが、今は「連絡帳の中身を読み上げ、宿題に必要なものを揃え、全てあることを確認できたらおやつを食べた後に宿題」という流れにしています。そうすれば、足りないものがあっても、帰宅後すぐに学校に取りに行ったり確認したりすることができるからです。

 

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消える子供の怪

 コウは、焦っていると指示が通りにくくなります。(焦っていなくても早とちりや勘違いは多いですが。)

最近、一瞬の後にコウが視界から消え、親とはぐれてしまうことが続きました。幼児のように「レジで会計をしている間にフラっといなくなる」的な消え方をする上に、幼児と違って移動速度が速いのでかなりドキっとします。

 

これは事件にも発展しかねないし、危険を感じています。そして、防ぐのが難しいとも感じています。一瞬も目を離さないということは理屈の上ではできるようで実際は容易ではないですし、微妙に『こういう時に事故が起きやすい』という予測が立てきれずにいて困っています。事が起きてから振り返れば「多分こう解釈してああしちゃったんだろうな」と推測することはできるのですが、それを事前に予測することは中々難しいと感じます。まさかの隙をついて消えることが続いている状態です。

 

「指示が良く分からなかったら確認してね。」と言っても、指示を勘違いして思い込んでいる時は『正しい指示が分かっていない』ことが本人には自覚できていない訳ですし、「外出中は親から離れないようにしてね。」と言っても、「ここで待ってて」「コウはあっちに行ってね」というシーンが発生する以上『そういう指示を受けたと勘違いしてしまった』みたいな状況は発生します。

 

これは学校生活でも、集団行動のできなさに繋がっていくので困るだろうなぁと思います。授業参観などで見ていると、やはり行動が出遅れることはあります。

 

けれど、私自身の経験からすると、これについて本当に困るのは社会人になってからではないかと思います。学生の間は集団行動が多く、指示に対して誤解があっても、周りさえ見ていれば「あれ?自分だけ何か違うことしてる?」と気付くことができますし、クラスメイトに「次どこに行くんだっけ?」等と聞けば何とかなってしまうところもあるからです。

 

社会人になってからは、自分に与えられた指示や自分の行動は自力で管理することが当然のこととして求められるようになります。それまでに、「あれ?もしかして自分勘違いしているかも?」のセンサーが備わると良いのですが・・・・色々な経験を積んで、ひとつひとつ頭に入れていく他ないのかもしれません。根本的に、話を聞くというスキルを鍛える必要もあるでしょう。必要な情報を拾い出して繋げることは、ある程度意識的に修練できる部分かと思います。

 

 

「コウがしているのは返事であって確認ではない。」

「行動が伴わないと他人から見ればただの嘘つきになる。」

「信用は積み重ね。不信も積み重ね。」

 

等々、最近コウに対してプレッシャーをかけまくりだろうなという気がするので、何かしら楽しい時間を作るようにしてエネルギーを蓄えられるようにしていきたいと思うこの頃です。